今日の役に立たない一言 - Today’s Trifle! -

古い記事ではさまざまなテーマを書いていますが、2007年以降はプログラミング関連の話がほとんどです。

教育問題について

NHKの番組(再放送)で習熟度別クラスの話題があった。みなさん、習熟度別ってどう思います?
個人的には習熟度別は取り入れるべきだと思う。できるとかできないとかいうのは差別といえば差別だけれども、分けることは大切だと思う。番組で紹介されたのは「じっくりコース」と「がっちりコース」と「がんがんコース」。住んでいる隣の町でそういうことをやっているのを知ったのは意外だった。
教育の平等ってことを考えてみた。考えた結果として出した(個人的な)結論は、教育を受ける人に対して最適な教育を提供することが教育の平等だ、ということだ。ちょっと極端な話だが、想像してみてもらいたい。
例えば、著名な数学者のガウスを例にあげてみよう。ガウスは、会社を経営する親の下に生まれた。彼は、言葉を喋りはじめた2歳のときに、親が社員の給与計算をしている中のミスを指摘したと言う。20歳の時には相対性理論を解説した本を書いている。そういう人がいるのだ。
あなたはガウスと一緒に算数の授業を受けるのが平等だと思いますか?また、ガウスのような人ばかりがいるクラスで授業を受けたいと思いますか?
大半の人はそう思わないだろう。だって、単なる個人差なんだから。ただ、普通は、大半の人が標準偏差の中心付近にいるので差が分かりにくい。でも現実的には差があるのだ。だから分けるのが可能なら、可能な範囲で分けて授業を受けさせるのが良い。全員に同じことを教えることが平等ではないと思う。それぞれが必要としていることを教えるのが、真の平等な教育だ。九州で雪かきを教えても無駄だし、北海道でゴキブリ駆除の方法を教えるのも無駄だ。
教育の平等とは、教育を受ける人に対して最適な教育を提供することだ。